あらたま@メモ魔通信

くらしの一コマ、ねこ、きもの、ラーメン、読んだ本、などな日々の活動メモ。書いて、読んで、猫と暮らす。丁寧ではないし、断捨離もしてないし、OLもしてません。

【読書記録】実話怪談 揺籃蒐

 

 Kindle版。年末年始は本で怪談を読み、ホラー映画を見て、BGMに怪談師の味わい深い語りを流しっぱなしにする。

 人それぞれに心穏やかな時間と空間を作り出す手法があっていいんじゃないの?


【読み始め】2023年12月23日
【読み終わり】2023年12月30日

 

 

 

2023年12月23日
 怪異が意図する目的なんてものは、生きてる者にはとうてい推し量ることはできないのだな――というのが、冒頭の数本を読んでの感想。そのくらい、わけのわからない怖ろしいものが詰まっている。
 
 実際、生きてる人間同士だって100%完全に意見を理解し合うことはできないという学説もある。共感した、理解した、つもりでいてもそれがズレてる場合もある。
 だから、ズレをお互いに歩み寄って修正し経験値として積み上げていくのが「信頼」というものであり、いきなり信頼100%の顔をして「アンタなにもわかってない!」とぶん殴りにくるのは「傲慢」とか「自己中」とか「KY」と呼ばれるものなのだろうと、私は考えている。
 だとすれば?
 怪異というのは大抵の場合、後者のような気がする。なんでワタシのところに現れるのサ――体験者は一様にそう語る。生きてる人間だって、なるべくなら後者に該当するなら避けたいんだもの。死者であれば……既に人としての何かを失い怪異に成り果てているならば……なおのこと怖いだろうよ。
 
2023年12月27日

 土地にまつわる話と霊感がある人の話を立て続けに読み、一気に気が滅入って休憩。

 前者は心霊とは関係のない、いい加減な不動産屋のせいでえらい目にあった人の話を思い出したから。

 後者は「霊感あって、ヤバい・ヤバくないの区別つくけど、何にもできない」という人を悩ませっぱなしなこの世と、そんな御本人への「生きづらさをそのままでいいの?なにか対策しないの?」という素朴な疑問と、常から両方にモヤモヤを抱えている私の個人都合から。

 

2023年12月30日【読了】

 実話怪談作家に体験談を寄せる人の「傾向」なのか?

 はたまた体験談を多く持つ人の、怪異を引き寄せる「体質」なのか?

 実話怪談の看板を提げる話に触れるにつれ、体験者の皆様にはある一定の共通項があるように思えてならない。私の中ではそれは未だ漠然としたイメージで明確に言語化できていないのだけど、ただ私には決定的に足りない或いはかけている「モノ」であることは確かなように思われる。

 

 一番最後の、神居古潭のお話は、さすがの私でも「若気の至りとはいえ、悪ふざけがすぎるのはほんとによろしくないなあ」とため息が出た。

 人を巻き込むこと――特に、嫌がってる人・嫌ではないが乗り気じゃないことを表明してる人を、その場の悪ノリで巻き込むのはほんとによくない。オカルトは一線を引いた外側に居てこそ「楽しめるモノ」なのであって、人や場所や怪異そのものへのリスペクトなしには触れてはならんものだと思う。