Kindle版にて。
以前読んだ片付けの本がとても良かったので、
そちらで言及されてた本書を読んでみた。
【読み始め】2024年2月6日
【読み終わり】2024年3月29日
2024年3月29日【読了】
禅の修行をなさった精神科のお医者様らしく、優しい言葉で書かれたメンタルケアの本――だったのだけど、やっぱり禅の道に沿っての解説が多いので、私にはスルッと入ってくる箇所が多かった。
わかりやすく説明するために、極端な「例」をあげてしまうのはこの系統の本にはよくあることだと思う。
なので読み手のほうで「これはあくまでも一例、決して当てはまるからといって悲観すべきでないし、当てはまらないからといって軽く読み飛ばしていいというもんでもない」と軸をぶらさないように読まないと、きちんと読みこなせないだろうなあ。
それどころか、ミスリードの深みにはまって、更なる悩みを抱えてしまいそう。
私が本書を読んでいて思ったのは、己の自己肯定感って想定ほど低くないのかもしれないということ。
そのかわりに低いのは、自己への慈しみや赦し、だ。
総合すると『肉体的にも精神的にもどうしようもなく低レベルで、常に人並みになりたいと思いつつ行動しても失敗ばかりしてる、そんな自分を半分以上「もうそれでいいんじゃない」諦めてる人』ってとこだろうか。
世間的には一見すると、自分を受け入れてて他人にも寛容そうに見えて、そこそこハッピーに生きてる人に思われてるかもしれない。が、現実の私は劣等感が8~9割、残りは諦めで出来ている。自己を否定してない(=肯定感はある)けど、常にガンバレ、マダマダ、ナンデデキナインダヴォケ、の三段活用で己を煽り散らかしている――らしいぞ?
その昔、私に「おまえはもっと自分を大事にすることを学ぶべきだ」と言った人がいる。私はその人の前で、わけわかんないくらい泣いた。わけがわからないなりに、この人のためにも幸せにならねばならんと思った。
一方で別の人に「あなたは誇り高く、己の才気に拠って立てる。だから僕は別の人と共に生きる」と言われた時は、絶望のあまり怒ることもできなかった。私の心の深い部分を理解し、私にも伝わるように示してくれる人だと思っていたけどそうではなかったみたい……あれは己の、人間観察の眼の未熟さへの絶望だった、と思っていた。
この二つの大事件において共通していたのは、自分自身の軸を見失っていたこと。それからン十年と経っても見失いっぱなしで、近年ようやく、この手の本を読むようになって謎が解き明かされる手応えを掴みつつあったんだけど、本書のおかげで研究が更に大きく前進した気がする。
自己肯定感は中の中だけど、頭の中で自分を罵倒することがやめられない――サァ、私という人をシンプルに言語化することができたぞ?次はどんな本を読もうか。その前に、本書で提案のあったワークをやってみようか……