季節は秋。
来年の手帳を選びながら、そこに書き込むべきアレヤコレヤも考える。
考えつつ、今年のプレ総括・来年の目標をゆるやかにやって、残りの三か月であわよくば来年の予行演習に当てるのだ。
鬼が笑うなら本望。そのために年がら年中、実話だろうが創作だろうが、怪談を読み続けているのだから。
【読み始め】2021年10月3日
【読み終わり】2021年12月22日
2021年10月3日
2021年12月22日【読了】
やっとこさ、読み終えることができた。
脳味噌の書き物体力をつけることばかりに躍起になっていたら、すっかり読むほうの脳味噌が弱くなっていた。
ただでさえ読むのが遅い方だ。こんなに短期間で読めなくなるのは、かなり困る。幸い、読めばそれなりに読書体力は戻りそうな手応えはあるので、風の向くまま気の向くまま好きな本をがしがし読んで鍛えていきたい。
さて。ずるずると時間をかけながら読み終えた本書である。
なんだかよくわかんないんだよなあ――
そんな声があちこちから聞こえてきそうな話ばかり。百話。
事実は小説よりも奇なりという言葉がある通り、明確なオチや綺麗に纏められた後日談なんてものは現実にはそうそう付くものではないけれど、だからこその絶妙なリアリズムが実話怪談というジャンルにはある(と私は考えている)。
ほんと、なんなんだろうなあ。
この世はまだまだ不思議で怖い話がいっぱいだ。
これだからやめられないんだな。怖い話を喰っていくのは。
生きている人の数だけ、人生という物語が紡がれるのだとしたら。
これまた人の数だけ「ちょっと不思議な経験した人がいてね」とか「妙な話を聞いちゃってさあ」なんて出だしで始まる噂はぞくぞくと生まれ続けるのだろうか。
生憎、私はそういった話が集まって来ない質で、創作怪談という土地を耕すことに活路を見出した。
私とは違い、そうした話を収拾する能力に長けた方々が地道に書きつけてきた物語の数々は、それ故まさに垂涎物の大御馳走である。今後も拾って行キマスヨ……とのあとがきに大いに期待してしまうのは、もうどうしようもない。