あらたま@メモ魔通信

くらしの一コマ、ねこ、きもの、ラーメン、読んだ本、などな日々の活動メモ。書いて、読んで、猫と暮らす。丁寧ではないし、断捨離もしてないし、OLもしてません。

【読書記録】猫怪々

 

 

 書店クロールしていた時、同行の家族に「こういうのは?」と勧められて、ふらふらーっとレジまで連れてきた本。

 お化け好き作家・加門七海先生の猫まみれエッセイ……らしい?


【読み始め】2023年11月6日
【読み終わり】2023年11月24日

 

 

 

2023年11月6日

 冒頭『振り出し』を読み終えたところ。

 軽妙洒脱な文体は加門節、脳内朗読はまるで講談の如くである。

 そこに猫への過剰な(褒めてる!)愛が乗っかるのだから、読み進まないわけがないのだ。読むのが遅い私としたことがグングン読み進めてしまう気配。

 

 お化け好きで「視える」作家さんなので、ここからどう怪々な展開になっていくのか、とても楽しみ。

 

2023年11月7日

 加門先生のもとに、念願の仔猫が……と、一筋縄ではいかぬところがまさに『怪々』である。

 先生と仔猫の行く末は大変に気になるところだけれど、私はそれ以上にp.47より展開される先生の「猫という生き物、延いては動物全般への持論」に大いに唸らされてしまった。

 

 私は自分のもとにやってきた猫がコンクリートジャングルに返すべき存在でなく、あくまでも法律定めるところの愛玩動物である以上、お外とおうちを自由に出入りできるような環境で育てるべきではないと考えている。現にうちのにゃんこは、窓の外を眺めこそすれ、小さな鳥や近所のチビッ子の声に至るまでビビリ腰で観察するほどの「お外嫌い」であり、全ての猫がお外を冒険したいと思っている説には大いに異論を唱えるところだ。

 

 まあ、そんな細かな意見の差異はあれど。

 猫と人間の関係性を考えた時、私もけっして猫が人間に劣るなどとは思えないし、なんなら人間という種族の方が猫の繁栄を大いに手助けすべく作られたのではないかと妄想逞しくしてしまうこともある。

 私自身猫と暮らすうちに猫大好きになったけれど、世にいう猫過激派ではないと自負していたんだけどなあ。もしかしたら、その素養があるのかもしれない。

 

2023年11月16日

 先生と仔猫の闘病記?奮闘記?が本格スタート。

 変な話かもしれないけど、加門先生がセロ弾きのゴーシュに重なってしまい、真に徳の高い人のところには人のみならず動物も、霊魂も集まってくるのだなと感心してしまった。

 私には霊感もないし、故に彼岸の存在に絡まれることもなく(趣味嗜好的にはさみしい限り)、見捨てずに居てくれるのは今のところ家族と一匹の猫のみという日々だ。こんな私をして「自分のことばかり考えている」と言われたら、そうかもしれない。日々生き延びるのに精いっぱいで、そういう半生を送ってきて、今が一番平らかで。それを手放したくないばかりに、よりいっそう自分の暮らしのみに向き合うことに躍起になっている……そうだな、そうなんだろう。

 

 それでも、そういうしがみつくことがやめられないからこそ、家族と猫には悔いの無いように慈愛を注ぎまくっている。それって悪いことだろうか?

 加門先生と私とで、おそらく手の届く範囲が違う。魂の熱量、その器の大きさが宇宙一個ぶんほども違う。

 徳の高い人になろうとは、いまさら思わないけど。その開き直りに、或る種の諦めという錘がぶら下がったような気分。

 

2023年11月24日【読了】

 加門先生と愛猫「のの」さまの日々は、これからも続いていくのだなあ、よかったよかった。やれ、めでたし――と締めくくられて、心底ホッとした。

 2023年現在、ののさまは既に10歳をゆうに越えられて、相変わらず縦横無尽に遊んで猫生を謳歌されているだろうか?うちのにゃんこ(ただいま15歳。我儘いっぱい、威張って、人をこき使う、頭は仔猫体はオッサンな猫)を眺めるにつけ、昨今推奨される内飼いはデメリットよりもメリットの方が多い気がするので、本書内で深窓の令嬢よろしく大切に愛されてるののさまも悠々自適に長生きされてるのだと信じてやまない。

 

 さて。猫はみな霊界通信ができるとか、霊が視えるとか、霊から飼い主を守るとか、いろいろ都市伝説並みの噂を聞くけども、私はそのどれもに懐疑的だ。

 前述の、我が家のにゃんこには、そんなオカルト物語をおっぱじめる気配は今の今まで一度もない。飼い主の欲目で「も、もしかして⁉」と思われる行動に見えないこともない事案が一つ、二つ?あった気もするけど、それだって突き詰めたら寝ぐずりだったり羽虫を追いかけてるだけだった。

 

 なんせ、飼い主が自他共に認める「視えない子ちゃん」である。家族に言わせれば「笑いの神に呪いにも似た愛され方をして、妙なところで体を張って、笑いを取りに行っている」お化けにも都市伝説にも縁が無い生き物である。

 動物は飼い主に似るというけど、もし私のところに縁づいたせいで霊能力が並みの猫ほどに育て上げることができなかったのだとしたら……お化けに縁がこれでもか!とあって実話怪談の名手でもあられる加門先生と、病弱な小さな体でこれでもか!と不思議なものどもを呼び寄せてしまうののさまの日々を読むにつけ、私はにゃんこに対して言いようのない申し訳なさでいっぱいになってしまった。

 

 だからといって、やっぱり、私も猫バカの端くれなのか、うちのにゃんこが可愛いしこき使われても「ハイハイ、ただいま~」てなもんなのだ。にゃんこが居ない暮らしなんて想像しろったってできない相談、さして強火では無いですよ?と思っていたにゃんこへの愛は本書のあとがきまで読むと、実は砂糖たっぷりの卵焼きを易々と焦がしてしまう程度には激しいのかもしれないなと考えを改めざるをえない状況に追い込まれている。

 いやもう、猫好きに悪い人は居ないとまでは言わないけども、猫好きの愛は底が知れなくて制御の効かんものなんだなあ。本書を通じ、我が身を省みて、そう思った次第です。