本屋大賞の受賞作を読もう!の挑戦は続いている……。
以前、どこかで冒頭部分の試し読みをした記憶がある。お話は覚えていたのに、本のタイトルはすっかり忘れてしまっていた(←失礼極まりない!)。
そのくらい、お話の持つ色彩・明るさが私には鮮烈だったのだろう。端的に言って刺激が強すぎたのだ。面白かったのに。
タイトルとお話の内容が一致して、さらには本屋大賞受賞作と知った今、気持ちも新たに読みたいと思う。
【読み始め】2023年6月5日
【読み終わり】2023年11月4日
2023年6月5日
嗚呼、そうだった、そうだった!初手はビンタ一撃だったのだ。
ここで「なんだまた恋愛小説の皮を被った自意識過剰オキモチ本か……」と一瞬がっかりさせておいて、一気に湿度を上げにくるあたりが憎たらしいくらいに素敵なのだ。
そうだそうだ、そうだった。
MP3プレイヤーが肝。私も以前愛用していたことがある。小さくて軽くて、心の拠り所にするには申し訳ないくらい、儚げな機械だった。
2023年7月18日
田舎と一口に言っても、その土地土地で住んでる人々の考え方やルールが違うから、全てこうだ!と一概に言えないけれど。
言えないけれど……フィクション、ノンフィクションの区別無く、どうしてこうもまあ「身に覚え有り」な場面が描写されるのだろう?それこそ、作中に出てくるラジオ体操のスタンプカードみたいに。
わかりやすいから?確かにそれもある。
けど、一番の大元は、そこら中にある「年長者の言うことは良いも悪いも絶対の絶対」という強迫と「長い物には巻かれろ」的厭世的処世術に長年支配されてきた、我が島国の特性なのだろう。と、思う。
気に食わないことをする生徒を毛嫌いする自分勝手な教師って、どこにでもいた。(『52ヘルツのクジラたち』p.45より)
昨今はそれに異を唱える人々も増え、慣習が打ち破られつつあるけども……それとて上記の支配下のもとの革命ゆえに、独自の価値観を醸成しようとしているところを見つけたら悪即袋叩きにしてくれようと手ぐすね引いている。
個の尊重?多様なる価値観?それを旗印に多数決に勝とうとする者を見ているとちゃんちゃらおかしい。本書に登場する校長先生を端的に評した一行に、フィクションにあるまじき……いや、フィクションだからこそ持ちえる説得力を感じた。
2023年7月19日
YouTubeで一般のクジラの歌と52ヘルツのクジラの歌を交互に流しながら読み進めた。結果から言うと、やるんじゃなかった。
キナコの生い立ちが詳らかになる場面。特に52ヘルツの方はキナコの魂の慟哭にしか聞こえなくて。作中で彼女は死にたいほど寂しい時に聞くのだと言うが、そんなことしてるから過去と決別できないのでは?と老婆心をメラメラと燃やしてしまう。
おそらく、今の私の心情は、キナコの目にはコンドウマートにたむろする老人たちのそれと同じものに映るんだろうな。
2023年11月4日【読了】
「はぁ……ようやく、読み終えた」
解説まで読み通しての第一声がコレだった。
それほどまでに、この物語は私にとって重たい謎に満ち、分け入るのが困難な道のりの連続だったのだ。
この物語をして、何故、多くの人が感動し涙を流したのか?
解説者の言葉を借りるなら「心揺さぶられる絶景」に辿り着けなかった私にとって、それが最大の謎として残った。
全ての事象が、ラストシーンを描くためにお膳立てされ、キナコも52もあんな酷い目に遭わなければならなかったというなら、私はそのために書き起こされた登場人物たちがあまりに不憫でならない(フィクションなんだから仕方ないじゃん、と言われたらそれまでだけど)。二人の軌跡を辿り、良かったねえ、めでたしめでたし……そうやって手放しで喜び、心洗われた気持ちに浸ってしまうことに、私という個人は言い知れぬ罪悪感と残酷さを覚えてしまった。
フィクションなんだから……いや、フィクションだからこそ。私は彼らの人生に、もっと説得力のある必然を求めてしまったのかもしれない。この話がヒトゴトではないと少しでも感じてしまった私は、最後までその可能性に縋ったのかもしれない。
なので、最大級の賛辞を贈る、おそらくネタバレを必死で避けているのだろう解説にも、なんだか奇妙なモヤモヤが残ってしまった。
私が読んだ文庫版には、カバー裏にオマケのショートストーリーがついている。カバー裏という限られた紙面に、ほどよい空間とほどよい温度感のお話が展開され、私はそこでようやく救われた気持ちになった。
いやあ……ハッピーエンドで締めくくるって、難しいものだ(自戒を込め)。