あらたま@メモ魔通信

くらしの一コマ、ねこ、きもの、ラーメン、読んだ本、などな日々の活動メモ。書いて、読んで、猫と暮らす。丁寧ではないし、断捨離もしてないし、OLもしてません。

【読書記録】テスカトリポカ

 

  出版社のHPに冒頭一章が丸々無料公開され、まずびっくりしました。

 近年、個人的に芥川賞直木賞への信頼が低下する一方で、山本周五郎賞は肝を抜かれる作品にお目にかかれることが多く、タイトルだけはチェックしています。

 その山本周五郎賞直木賞を同時に……?それを一章だけとはいえ無料で公開しちゃうの??

 夜なべしてHP掲載分を読み、その勢いのままに書店に走って購入してきました。


【読み始め】2022年4月3日
【読み終わり】2023年4月14日

 

 

 

2022年4月20日
 土埃とかび臭い水溜まりの、一呼吸だけで悪い病気になりそうな空気。
 行間からそれが立ち上ってくるような、濃密な世界観が嫉妬も忘れるほどに魅力的。
 一気に読みたいところを我慢してる。
 一日に一話ずつ。それこそ、暦と共に進むように。
 
2023年2月21日

 手に取っては「また今度」と勿体ながっていた本書を、再び読んでいる。

 メキシコ裏社会の噎せ返るような描写と、それを裏打ちするかのような被征服の立場から見た歴史。そこには性善説を刷り込まれた日本人にはわからない掟と死生観があって、本書を読んでいる間だけの追体験に過ぎないという当たり前の事実に行き当たった時に感謝の念を抱かずにはいられない。

 まだまだ、物語は続くというのに。

 
 
2023年3月29日

 観光旅行先として人気の東南アジア諸国。日本も含めて、エキゾチックな魅力とホスピタリティの裏には、広くて深い闇が広がっている。その闇をかくもスタイリッシュに、悪趣味なユーモアをスパイスにして(←滅茶苦茶褒めてる)、ここまで細密に描かれてしまうと正直なところ思考が停止してしまう……それほどに面白い。

 小説を読むってそうそうこの感じなんだよ!お金儲けのヒントもとって付けたような癒しも人生訓もない、ただただ物語の中に埋没させられて、架空の空気を吸って吐いて生かされる。その時間を味わってるだけで、充分なんだよ。

 

2023年4月5日

 バルミロと末永が描く「新たな資本主義の青焼き」からどうにも目が離せなくなる。恐ろしい。恐ろしいのに、腹の底から奇妙な昂揚感が湧いてくる。

 自分が読んでいるのはあくまでもフィクションだ。理屈で自分自身を言いくるめるほどに、本を閉じたあとに目に飛び込んでくる景色がぐるっと裏返っていくような、寒々しい感覚。私が息をしているこの界隈は、実はよくできたドールハウスで、本当は見たことも聞いたこともない「商品」が取引され、泣くことも呪うことも許してもらえぬ人たちが私を冷たく睨めつけているかも知れない……そんなことを考えると、今のくらしに必死こいてますなんて言ってる自分が可愛くもありバカバカしくも思えてくるのだ。

 憎たらしくなってくるほどに、とんでもなくゾクゾクしておもしろい本書はまだ折り返し地点を過ぎたところ(ページ数的に)だ。目が離せないなあといいつつ、最後まで一気に読み抜けるのがもったいないと思う。

 

 

2023年4月14日【読了】
 宗教とは、神とは、人間にとって必要悪なのか?それとも動物が人間として生きるための欠かす事ができない指針なのか?私的な良い記憶・嫌な記憶の反転点において、この問いは必ずと言っていいほど浮かび上がってきた。そして歳をとった今は、常々考えていることでもある。
 本書で登場人物のひとり、土方コシモの成長を追っているとき、この問いに対する答えのひとつが掴めるような、幽かな希望が見えていたように思う。
 
 本書を貫くのは、失われたアステカ王国を覆い支配していた闇よりも昏い神への信仰だ。
 その信仰を「邪悪だ」と斬って捨てるのは、あっけないほど容易い。かつて光満つ国に住まう神の名を借りた(その実、財宝略奪や奴隷貿易が目的だったけど)征服者たちが、自分たちのかざす神の正義によってそれをやり遂げたように。
 しかし神というものは、信仰というものは、その神の名を知るものが居る限り決して滅びたりはしない。むしろ地底深くに追いやられるほどに、力を増して、再び天に昇る機会を待ち望む。
 神々が強大な力を得るのは偏に信仰する「人間」が居るからだ。だからこそ、神は人間に「眼に見える形の信仰」を要求するわけだけど、それが血と心臓である神と忠誠と金品である神とではいったい何が違うというんだろう?
 表題になっている神・テスカポリトカを畏怖し崇拝していた人々が背負ってきた悲しさや怒りや痛々しいまでの生命への渇望が、暴力や犯罪に転変した後に新しい神話へと生まれ変わっていく怒涛のラストは、まことに見事だという他なかった。
 
 この物語に描かれるのは、フィクションとはいえ唾棄すべき数々の犯罪。それを個々人の正義感によって「こんな話を書くなんて」「よく読みますね、こんな本」と叩くのは勝手だけれど、この作り物の人生を疑似体験しなければ見えてこない神とそれを信仰するという覚悟や世界観というものは確実にある。本書には、ぎっちりと詰まっている。
 その体験は私にとってどうであったか?は冒頭で述べた通り。
 土方コシモの視点に没入できたこと。アステカの神話を視て、考え、そして行動した彼の思考を辿れたこと。この本でしか体験できないこと。読んでよかったです……。