日頃「怖い話」ばかりに触れていると、怖くない話への興味と羨望が生まれてきます。自分では書けない話、思いつかない話、活き活きと瑞々しい登場人物とその周りの息遣い……嫉妬は大いなる創作の泉。
つい最近、本屋大賞に選ばれた本という、素敵な「源泉」に辿り着きました。
片っ端から読んでいこうかしらと、思い立ち手に取った先ずは一冊目。
【読み始め】2023年5月14日
【読み終わり】2023年6月4日
2023年5月14日
2023年5月28日
検索したら横着な私にぴったりの本が見つかったので、読んでみようと思う。
本文はちょうど真ん中あたりまで読み進んできたけれど、私には未だ数多の読者たちが言及する「美しい」が何を指しているのかわからずにいる。それこそ、森の中を迷子になったかのようだ。
羊と鋼がピアノを指し、奏でる音の豊かさを主人公の心象風景と感性そのものを通して森に準えているのはわかる。わかるがゆえに、彼の苦悩や心許ない生き方を「瑞々しい」とか「青春の美しさ」と言い表すのは少し違うんじゃないかと思ってしまう。それは青春を甘酸っぱいものとして味わい、人とのすれ違いやふれあいに何の疑問も持たなかったからこその『ないものねだり』なのではないだろうか?と。
こういう穿った読み方をしてしまうのは、もしかすると、私が『森』という場所に美しさよりも先ず厳しさや畏怖を覚えてしまうからなのだろうか。
2023年6月4日【読了】
良い物語を読んだ。
けれど、これをして「美しかった」というべきなのか、私にはその判断基準の持ち合わせがない。
私には、この物語が、ひとりの泥臭くも傷つくことを知らない青年の門出に映った。彼が輝く珠になるのか、研ぎ澄まされた刃になるのか。彼は未だ、その美しい魂の旋律を己が内に隠したままに見えた。
主人公の青年を取り囲むのは、赤毛のアンシリーズの第一作目にでも登場しそうな、善良で不器用で繊細な人物ばかりだ。
青年の視点から見える世界がそのような景色だから、そういう人ばかりに思えるのかもしれない。青年にとって森が、深く静かで色彩と音に満ちている、彼をどこかに導くような誘い出すような場所であるように。彼にとって世界とは、分け入るほどに心震える教えと気付きを「与えて」くれる場所なのだろう。
とても興味深かった。良いものを読んだ。
この物語を美しいと思える何かを得たいからと、青年の『その後』の物語を読んでみたいと願うのは、贅沢が過ぎるだろうか?