あらたま@メモ魔通信

くらしの一コマ、ねこ、きもの、ラーメン、読んだ本、などな日々の活動メモ。書いて、読んで、猫と暮らす。丁寧ではないし、断捨離もしてないし、OLもしてません。

【鑑賞記録】展覧会 没後10年 映画監督大島渚 を観に行ったこと

 

 

私にとって大島渚監督とは?

 私の記憶の中で「大島渚」という人は――

・深夜のテレビで「バカヤロー」って言ってるオジサン

・スピーチを終えたサングラスのオジサン(野坂昭如氏だと後日知る)にぶん殴られたけど、ちゃんと殴り返したオジサン

 等々、血気盛んな面白い人という認識であった。

 

 典型的なテレビっ子だったことと、刺激強めな大島映画を周囲の大人が極力遠ざけていたことの相乗効果で、私は長らく歪んだ大島渚像をホンモノと信じて過ごしてきた。

 

 転機が訪れたのは高校生になるか、ならないかのころ。

 デヴィッド・ボウイの大ファンだという同級生に「貴様、誕生日がデヴィッドと一緒のクセして、デヴィッドの何たるかを知らんとは!うらやまけしからんから、ビシビシ教育してくれる!」と、彼のバイオグラフィーについて語られたことに始まる。

 あの名作『戦場のメリークリスマス』は、デヴィッド・ボウイを語る上でも決して避けて通れない。ましてや大島渚監督のひととなりを知る上でも。

 荒々しさと繊細さが共存する不可思議さと尊さに「え、あのオジサンが、この作品を?」と、それこそ出会いがしらに往復ビンタされたみたいな気分になったのだった。

 

 

緻密な計算は、欲張りのあらわれ?

 展覧会は国立映画アーカイブの七階展示室で開催。

 エレベーターを降りるとすぐに、大島作品の劇場予告編音声が耳に飛び込んできた。

 平日の昼過ぎだったので比較的空いていたため、予告編上映コーナーの最前列席に座って全編鑑賞させていただいた。この時点でもう――エキスが、濃い。という印象。

 

 学生~松竹の時代の手書資料やノートを見るにつけ、妥協なき創作への情熱は「三つ子の魂百まで」だったのだなと痛感した。物語書きという畑を耕す身としては、根性の据わり方について反省を促された気分……。

 独立後もその姿勢はブレることなく、むしろさらに骨子を太くしていく様子が展示に見て取れる。これら手書資料はスタッフ会議等で使われたのだろう、きちんと清書されたものがほとんどだったが、果たして完成するまでの間にどれだけのアイデアメモが書かれては破かれていったのか?と想像したら気が遠くなった。

 全体と細部。カメラと演者の距離感。映画全体の流れを支配する、監督の中の衝動とこだわり。指示書や台本原稿、契約書や領収書に至るまで、何かの意図があるように思えた。

 この溢れかえる創作愛が、やがて少女たちの心を揺さぶるのだなあ。

 

 

 

戦メリ鑑賞後の少女たちの共鳴

 記念撮影しよう!とフランクに語りかけてくださるが、私はここまでの展示で「いやもう!畏れ多くて💦」と腰が引けてしまい……ポートレートっぽく一枚収めるのがやっとだった。

 ちなみに。この日は海外からのファンの方々が熱心に見学していらして、素敵な笑顔とサムズアップで記念写真撮ったりしていた。情熱に国境はないのだ……。

 

 こちらのパネルの右奥に、私がどうしてもこの目に焼き付けたかった資料が展示されている。

 戦場のメリークリスマスを鑑賞した全国の少女たちが大島監督に送った、熱烈なファンレター。私より四つ或いは五つくらい年上のお姉さま方だと推測される皆様は、何枚もの便箋に作品解釈とそこから生じる感情の荒波をほとばしらせていた。

 先輩方は癖のある丸文字に文学的文脈を乗せて、大島監督がスクリーンを通じて届けた熱量に応えようと悶絶する。自分の言葉が己が心情を正確に表せない恐れともどかしさに苛立ち、むしろそれさえもひっくるめて、作品に揺さぶられて目覚めた希望と夢について語り導師としての監督に感謝を述べて……私はこのファンレターに昨今、なにかと揶揄されることの多い『古のヲタク』の背中、その何たるかを見た。そして震えた。私如きが感想を送るなんておこがましい……そんな小賢しいムーブ、誰が始めて推奨したのか?推しを推すヲタクとは、本来こういった人々を指すのではなかったか?

 作品は鑑賞されてこそ作品たり得る。そう嘯くのであれば、作品に込められた情熱に共鳴し、新たな創作の発露を促すのが健全なヲタクの姿ではないか――この展示ケースの前から暫く動くことができなかった。深呼吸したりして、ちょっと落ち着かないと、一歩踏み出した途端に泣いちゃいそうだった。

 

 

全ての創作を志す人たちへ

 この企画展は8月6日まで。映画を志す人だけでなく、全ての創作に関わる人たちに見て・感じて少しでも勇気をもらって欲しいと思った(企画展が全国を回るっていう予定はないのかなあ……)。

 大島渚作品の新作が作られないとなれば、今後は大島監督の創作人生と作品に触れる機会は、一部の限られた人たちだけになっていくような気がする。なので、この一回といわず、定期的に大島監督の仕事を思い出し・触れ・感じるチャンスがあればいいなあと思いつつ帰路に就いた。

 

 

 

 最後になりましたが

 この企画展の開催を教えてくださった

 猫の本棚御店主・樋口尚文様に感謝申し上げます