積読ならぬ挿読(いつの間にか本棚に挿してあった)を、読んで整理せねばならぬ事情が逼迫してきた年の瀬。
いつ読んだのかもわからない本から……ということで、本書を手に取ってみた。
【読み始め】2022年12月10日あたり?
【読み終わり】2023年2月12日
2022年12月21日
2022年12月24日
学校帰りに書店に寄り道するのが日課だったころにくらべ、今は一ヶ月に一回行くか行かないかになった。
疫病禍が原因の一端ではあるかもしれないけれど、それ以前に読みたい!と心くすぐられる本との出会いが少なくなったような気がするのも、私が見過ごしていただけで何十年と積み重ねられた要因なのかもしれないなと、読み進めながら思った。
思い起こすのは、漫然と平積みされる新刊。POPに踊るのは趣旨のわからないランキングで一位を取ったとか、涙腺崩壊やらトラウマ必至などの、味気ないネットスラングもどき。
私が求めてるのは、流行ってるから読むという受動的体験ではない。先達=既読書店員さんが残してくれた足跡を頼りに未知の土地を探検するような、ときめきとともに読みたい本を探す冒険なのだ。
書物の流通に覚悟をもって挑む人々のインタビューから、思わぬ気づきを得るとはなあ……。
2023年1月2日
一読者、一般のお客、そういう視点からの率直な感想として。そういう但し書きをつけて、あえて言うならば。
版元と取次と書店、どこにも「読みたい人」の目線におりて語ってる人がいないじゃない?という印象が読み進めるほどに強くなっていく。そういうタイプを自称する書店人は皆が皆、ネット書店に活路を見出すのだろうか?
さらに生意気承知で書き残すなら。
本書が世にでてから相応の年月が過ぎ、本というメディアを取り巻く意識も環境も様変わりしてきてはいる。読みたい人よりも書きたい人がますます増えてきている今、良い意味でも悪い意味でもネットの力を借りず、ある程度の意図的操作が可能な瞬間風速的ランキングに左右されずに、ほんとに読みたいものを自力で探すのは困難になるばかりだ。
グーテンベルクの大発明から今日に至るまで世界中で発表された名著と呼ばれる作品を全て知り尽くしている人は今ではごく一握りだろう。その人たちが全力で作り上げた棚と、今この瞬間にベストセラー上位100冊で埋めた棚と、私はどちらにドキドキするだろう?
2023年2月12日【読了】
行きつ戻りつしつつ、読了。
約二十年前の本邦における出版流通、書籍制作におけるレポートを読んで、現状が良くなったのか悪くなったのかまったくもって「わからなく」なった。
読書を「インプット」と称し、とりあえず読んだ本のレビュー(というか個人の感想文大会?)をネット上にあげては「アウトプット」による知識の定着を図る向きは、昨今の私の体感では増えてきているように感じる。
とはいえ、だ。年間に何百冊と読む方々のそれを拝見するに、ベストセラーを追いかけつつも、噛み応えのソフトな自己啓発本の類が多く、故に知識の大量消費のみが先行してしまい「読書≠知的迷宮への大冒険をじっくりと楽しむもの」という図式になっている例を多く見かける。
その様子を思い出しては、本書著者が抱える苛立ちや危機感へとモノクローム反転されていくような錯覚を覚えるのだから、状況は一進一退すらしておらず暗黒の中で硬直していると断言してしまっているのかしら?
本を読む人の大半が自分で書籍を買うよりも図書館に購入申請していること。
新古書市場の抱える光と闇。
出版流通が見て見ぬふりをする病巣。
どれもが私も一消費者の視点から見てなんともいえぬ寂しさと滅びのにおいを感じていた事ども。その一方で、自らが読みたい本を貪欲に探し求め続ける人もいて(私などはその病をこじらせすぎたのか、自らで本を作り、出版社を起こしたいと立ち上がってしまったし……)、書物というひとつの文化は通過儀礼としての死を迎えようとしているのかもと考えるのは、ロマンチックが過ぎるだろうか。
下巻は単行本時には無かった『答え合わせ編』によって、一連の出版不況レポートを総括するようだ。
怖いもの見たさでページをめくってみよう。