文学フリマ東京でお迎えした作品。
其の一が大変に懐かしい薫りの構成で、そうそう私もこういう実話怪談風なのを書きたくて、ちっとも書けなくて、未だ迷走しているのデスと羨ましくも楽しませていただいた。
其の二があるならば、安心して楽しめるに決まってる!
わかっているのに、いや、わかっているからこそ、読むのを勿体ながってしまうどうしようもない性分なのが積読スタイル。
【読み始め】2024年7月9日
【読み終わり】2024年7月10日
2024年7月10日【読了】
予想していたとおりである。
面白さは折り紙付き、の本は当たり前のようにすぐに読み終わってしまう。
大事に読むぞと決めて、いつ読もうかな?と絶好のタイミングを狙いすましたにも関わらず、最後のページに辿り着いてもなおランダムに話を拾って読み返すのに、やっぱり本を閉じるその瞬間はやってくる。
儚い……なんて儚いんだろう、虚だろうと実だろうと、怪談というのはやはり泡沫の如く手の中に留めておくのが困難なものなのだ。
お話には起承転結とか、序破急とか、だいたいの構成のパターンがあって、ここでちょっと「引き」なさいとか「インパクトある台詞を」とか、作家の数だけある作文理論をいかに上手に盛り込むかが肝になる。
だけど、案外見落としがちなのは、構成に気をとられて、物語のスケールにあった文量を読み間違えてしまうこと。これは私もしょっちゅうで、手癖でなんでも古典落語の怪談噺くらいのスケールにしてしまうものだから、本書に収められてる一本分くらいの『実話怪談の空気感を醸すちょうどいいスケール感』の話を書くのがド下手糞だ(それでも書きこなしたいから、下手糞なりに書き続けてるけどな)。
其の一を読んだ後、もしかして作者様、アノ元祖実話怪談集を読み込んで大人になった怪談少年では……と密かに期待していたら、本書あとがきにてその答えがバチっと明かされており、ひとり万歳三唱したのはここだけの話。
文体だけでなく、想像しうる範囲での怪異の成立の仕方や、伝聞を蒐集するというスタイルへの強いこだわり、それ故に著者による後追い取材などで知り得た情報は徹底して書かない、というスピリットまで踏襲されていて、私には何故にこの素直さと欲を律する我慢強さが備わっていないのかと、同じく(一緒にすんなって怒られるだろうけど)怪異を創作する者として大変に羨ましい。
私の『怖い話の夏・活字編』は本書から始まったわけだけど。
物凄くパワーのある本を読むと「もう書かなくていいかな!」とか簡単に思っちゃうのだが、こと怖い話を読むと、ダメだぁやっぱりもうちょっと書き残したいとみっともなくペンを握り始める。
たぶん、私も怖い話が好きな人だってことなんだと思う。
私にはザ・実話怪談のスタイルで怪異を創作することはまだまだ難しい。きっと一生かけて、書き、迷い続けるだろう。とてもつらい、苦しい道行だ。
嗚呼、でもなあ……其の一・其の二と読んでしまったのだもの、作者様の爪の垢エッセンスをいただいた気になって、この夏も書いてみよう。へこたれたら聖典とも呼べるアチラの全集と本書と、読み返しマスm(__)m