文学フリマ東京でお迎えした作品。
会場を歩いていて、ふと立ち止まりたくなったブースにて、静謐な佇まいの一冊の本がとても気になったので試読。
帰宅後、なんだか読むのが怖いな……と落ち着かないまま時が過ぎた。
【読み始め】2024年5月22日
【読み終わり】2024年7月8日
2024年5月22日
二本目の「らくだ」まで、時を忘れて読んでいた。
Last Odysseyとらくだ。この二本を話を貫く、温かいようで冷たいような、残酷さは何だろう。
学校の図書室で初めて『星の王子様』を読んだ時の、説明のしようがなかった悲しさや絶望感をちょっと思い出している。
2024年6月6日
華胥ノアナタまで読み進んだ。
背景も風味も違う短編が並ぶのに、何故だろうやっぱり、痺れるような痛みが残る読み心地が続く。痛気持ちいい、と呼んで良いのかな?この感覚は。
そんな、自分の体感でさえも不安になるような、居場所の無さ……。
鎖骨の間をじんわり押されるような、というのも違う。
絹の滑らかさで手足の自由を奪われるような、というのが近いかも?
この閉塞的な痛みが「文学性の高さ」というものならば、文学って時に毒だったり暴力にも転用できたりして、それすらも美しいものとして認めさせる力があるってことの証拠じゃないのだろうか。
2024年7月8日【読了】
残りを一気に読み終えようと何度も挑戦したけど、数ページ読むたびにため息とともに手が止まった。
読み進めるうちに感じる苦しさは、嫌なものから逃げたい時のそれじゃなくて、清浄すぎる何ものかにどうしても触れなければならない時の、逃げだしたくても絶対に叶わないとわかってる時の苦しさかなあ。
広がる光景が美しすぎ、水が甘く、闇が優しいばかりに、思わずここが地獄であることを忘れちゃう地獄なんてもんがあるならば――そこにポーンと放り出された瞬間に感じる「畏れ」というのもまた、こういう息苦しさを伴うのかな?とも思う
バラエティー豊かな短編集で、どの話から読んでも楽しめるし、それぞれの味わいも勿論違うのだけど、容赦のない愛と逃げ場のない哀しみは一貫していたように思う。
読み終えたはいいけど、本書から手が離せないし、かといってページを再度捲る勇気もない。どこに向かってため息をついていいかわからない。
ちょうど今、夏休み向けに書いてる話が、水の底がキーワードの一つになっている。
あんまり悲しい話にしたくないし、だからといって全開アオハル!って感じにもしたくないんだけど、明らかに心が本書に引っ張られている今、書き進めたなら登場人物みんなが私のペン先を離れてどんどん暗い海の底に潜っていったまま、帰って来なくなっちゃうような気がしている。
とんでもない本を読んでしまったなあ……。
シャープで美しい幻想風景がお好きな方にはぜひともご一読願いたい。
一緒に打ちのめされましょう(;^ω^)