文学フリマ岩手でお迎えした作品。
初見で本を選ぶとき、私の場合は「直感に因るところの嗅覚」にほとんどを任せてしまう。
とあるブースに立ち寄り、直感で試読をした際、目次から小鼻がヒクヒク……と。それが本書との出会い。
【読み始め】2024年8月27日
【読み終わり】2024年10月28日
2024年10月28日【読了】
一度め、全編を通読して「嗚呼まいったなあ」とただただ項垂れた ←いい意味で。
二度め、パッとページを開いて登場した話を読む。それを繰り返して、ざわつく胸のうちが凪いでいくのを感じた。
そうして季節が過ぎゆくままに、本書を学生時代片時も手放さなかった聖書みたいに拾い読みつつ、そろそろ読書メモをまとめないといけないなとキーボード―をたたいている。
著者のひととなりがこの一冊に凝縮しているのならば、恐らく、著者は私なんかと違って大変におおらかな環境のもと幼少期を過ごし、ユーモアあふれる友人に囲まれ、温かき学び舎にて健やかに勉学に励んだのだろう。
そして多くの書物と寝食を共にし、その身のうちに物語を紡ぐための土壌を育み、文学という良き苗を植えて枝葉を育てたのだと思う。
そんなことどもを妄想してしまうほどに、どの話も私には眩しくうつり、故に前述のように「嗚呼まいった、まいった」と呆けていたのである。
人はただ飯を喰って適度に運動しぐっすり眠れば健やかに育つというものでもない。時に甘酸っぱい経験もするだろうし、裏切りの刃を背中に浴びせられることもあろう。
普段の私は聖書の言葉を引用してそれらを「試練」の一言で片付けたくはない派を標榜してるのだけれど、敢えてここでは「試練」という表現を引こう。つまり、著者はそんな人生によくあるだろう試練を試練として勇敢に乗り越え、己を健やかに磨く糧にしてきたのだろうなあ……一本めの話でありこの短編集のタイトルにもなっている『宇宙からの手紙』不思議な可笑しみの中にほろ苦さ漂う『穴掘り少年A』切り取った場面ひとつひとつに愛おしさが滲む『帰り道RTA』。この三本の話は特に、まいっちゃったもんである。
いいなあ、私も次回人間としての生をうけることあらば、こんな健やかな物語を紡げるようになりたいよぅ。