エッジが効きつつ、冴えた肉感ある言葉選びにすっかりファンになってしまった、小柳とかげさんの写真詩集
※書影は私が独自に撮影したものです。作者様や発売元様よりご要請ありましたら、画像の削除又は差し替えることがあります。
【読み始め】2023年12月27日
【読み終わり】同日
2023年12月27日【読了】
今年春の文学フリマ東京でお迎えしてから「じっくり腰を落ち着けて読まねば」と鼻息荒くタイミングを計っていたら、なんとまあ、年の瀬が押し迫ってきた!
大急ぎでアレコレを片付け、今年中に読んでおきたい本の山にもちろん本書も積み上げて、ホリデーフレーバーの熱々の紅茶を飲みながらとかげさんの言葉を味わう。
本とオンラインとでとかげさんの言葉に触れていると、死の冷たさ・昏さを見続けたゆえの欲求――この世に遺していくものを創りたいという思いが伝わってくる。それはもう、痛みそのものだ。
誰かの心に爪痕をチョッとつけて、自身は跡形もなく消えていく……なんていう生易しいものではない。
カラビナのような安定感とフック船長の左手のような鋭さで、読むそばから私の中の「なにか」にがっちりと食い込み、時間の流れの中に過ぎ去ることを拒む。
そんな持ち味が大変魅力的なとかげさんの作風なのだけど、あら?と思わず付箋を貼った箇所が二つある。
「恋をする人をカーテンの隙間から見つめるだけの日曜があってもいい」
「本を読むその手はたぶん絶望へ突き落したことのある手でね」
それぞれ別のページで関連の無い景色を切り取っているのだけれど、私はこの一行ずつが転がり出た瞬間のとかげさんの「まなざし」を想像して、ある種の安心というか喜びを感じた。
たくさんの困難を味わってきた少女は、これからしっかりと世界を二本の脚で踏みしめていける。その強さを身に纏う勇気がある……うまく言えないけれど、とかげさんは社会人になってもきっとこれまで通りのとかげさんであり続け、シャッターを切り言葉を紡いでくれるに違いない、と。そんな風に確信してしまったのだった。