あらたま@メモ魔通信

くらしの一コマ、ねこ、きもの、ラーメン、読んだ本、などな日々の活動メモ。書いて、読んで、猫と暮らす。丁寧ではないし、断捨離もしてないし、OLもしてません。

【読書記録】「あなた担当の神様」のみつけかた

 

 【kindleで読書】 

 最近、ちょっと耳にした「産土神社」という言葉。

 神様は人間とは時間も空間も捉え方が違う次元におわすので、私はそこまで「住所」にこだわらず、両親の仕事の都合でお引越ししてはその土地土地でお詣り小僧よろしく神社を遊び場にしてきたのだけど……それじゃいかんのかい?と好奇心が向いたので読んでみた。


【読み始め】2023年2月28日
【読み終わり】2023年3月1日

 

 

 

2023年3月1日【読了】
 半分モヤモヤっとしたものが残る読後感。
 なにがそんなにモヤッとしてるのだろう?と自己流で分析してみた。
 
 昨今の「お詣り指南本」に共通するポイントに、お詣りのお作法=コスパ良い御利益の授かり方という図式があると思う。私はそれがなんともモヤモヤするのだ。
 神様というのは人間が捉える「世界」とは違う次元の世界におわすと私は思っていて、本来は人間を含む現世を箱庭の御世話をするかのように振舞う存在(なのだろうなあ……と私は想像している)。だから、人間がどうなろうと知ったこっちゃないし、神社で人間がお参りに来るのを待っててくださる神様というのは、比較的人間という生き物が好きな「少々変わったとこのある」神様なんだと思っている……だからこそ、御利益いただいた時には有難いことであるし、お礼のお参りに行かねばなとなるわけで。
 ゆえに、お願い事を聞いてくれるとか、特定の人間をかわいがって後押ししてくれるとかってのは、その神様の「趣味嗜好」の範疇で、だからこそご機嫌を損ねると手酷いしっぺ返し(最悪、一族郎党滅びてしまう)を受けることになるんじゃないかな……と、ポンコツ怪談エンジン脳で日夜考えているのだけどね。
 
 本書にもちょこちょこ登場する「神様に喜んでいただく方法」というのも、如何に神様に取り入って最小の手間で最大の御利益をいただくか?という考え方に根差しているように思えて、イマドキの神様って随分と侮られたもんだなあ……と少々気の毒になってしまうのだ。そこがね、モヤモヤっとするのだろうと思う。
 
 後半になって、少しだけ「あれ、よくある御利益コスパ本と違うぞ?」と思ったとこがあったので、それもメモしておこう。
 神社のご開運をお祈りしましょうというくだり。これは賛成!と拍手した。
 私は妖怪や都市伝説に触れるたび、人口に膾炙することでその存在は「生き延びる」ことができるのであり、忘れられることが即ち絶滅を意味するとの思いを強くしている。神様・神社も同じで、祀る人間が居なくなれば神としての存在は危ぶまれる(野良で生きることがあるとしても、それは神というよりも怪異として捉えられてしまうかもしれない)。
 神様が神様として神社に住まうためには、やっぱり人間の手が必要なのであり、人間の尊敬と畏怖の念を集めなければならない。私たちが授かる御利益と神様の運気向上は持ちつ持たれつの関係であり、シアワセな共存関係を築くことが延いては「金運・仕事運・恋愛運の向上」という御利益コスパ至上主義の人々が求める道に通じるのではなかろうか。
 
 出口の見えない不景気が何十年と続き、海の向こうの戦争のせいで世界的にも気分が落ち込んで、もしかすると近いうちにその火の粉が自分にも降りかかるかもしれない――そんな踏んだり蹴ったりの世の中で、なんとか手っ取り早くシアワセを実感したい気持ちはわかる。
 わかるけれども、わかるからこそ、この世の世知辛さを神様にも「お裾分け」ってのは納得がいかない。
 御縁を繋がせていただいて、御利益を吸い尽くすのではなく、むしろ「神様、今の御時世大変ですね、一緒に頑張りましょうね」と、いただいた御恩をお返しする気持ちを心の片隅に置いて、日々の平穏を感謝するためにお詣りする。産土神社を探すかどうかはわからないけれど、今度いつもの散歩コースでお詣りする時には日々の感謝と共に「最近、大変なことが多いですね、おつかれさまです」の一言も添えようと思った。