Amazon Prime Video にて鑑賞。
クセ強めの映画で頭の中をゴシゴシされたい!と思った時、尾野真千子さんの出てる映画を観てる気がする。
【前】
下町の、威勢のいいオバチャンが笑顔で奮闘するお話っぽい?
連続テレビ小説と呼ばれる朝ドラをみなくなってン十年の私だけど、それっぽい映画はわりと好きなので観てみた。
【後】
ぜんぜんほのぼのしてない。
いや、オノマチ演じるシングルマザーが伸び伸び育てた一人息子は、驚くべき伸び伸びさ加減できっちり「ほのぼの担当」をこなしていたので、唯一の救いというか、彼が居たから一気に鑑賞できたとも言える。ありがとう、ほのぼの。
主人公を尾野真千子という女優が演じなければ成立しえなかっただろうなあと、映画鑑賞は永遠のド素人である私にでさえ理解できたお話。派手な演出やカメラワークはないけど、地味で些細なところに作品のこだわりを感じて、そこに全力でぶつかっていくのだ。なんかね、観るのにもすごく体力が要求された。
静かにぐつぐつと湧きたつ地獄の釜の底を歩くみたいな、周囲の心情を振り切って逞しく生きる主人公を、前述の一人息子や職場の同僚ちゃんが適切なタイミングで的確に「ツッコんで」くれなければ、たぶん途中でしんどくなっていたと思う。しんどくて、明日続き見るわーって言って、嘘そのまま見ないって保留タスクに入れっぱなしにしてたと思う。
そうやって、お話を引っ張る人と支える人のバランスだけを考えると、物凄く計算され尽くしてるんだなあというのが、映画全部を観終えた後にじわじわ判ってきて、その計算結果をしっかりきっちり演じきった出演者の皆様の技量の高さにあらためて感心したりするのだ。
ただ一つ、憎たらしいことを。
この手の理不尽をコトコト煮詰めることでしか、邦画では文学性というモノを表現することはできないんだろうか?
ブンガクって、地べたを這いずり回ってないとダメなんだろうか?
現実世界と、想像するしかなかった地獄が、地続きどころかピタリと重なり合おうとしている今の世の中で、こういうお話をフィクションで構築する意味ってなんだろう?
誰もが自らを発信しそこらにびっくりするような「実話」が転がってるのが、むしろ珍しくなくなってる時代に、映画の枠を飛び越えたところで、老婆心ながらモニョモニョと考えてしまった。