あらたま@メモ魔通信

くらしの一コマ、ねこ、きもの、ラーメン、読んだ本、などな日々の活動メモ。書いて、読んで、猫と暮らす。丁寧ではないし、断捨離もしてないし、OLもしてません。

【読書記録】江戸の味を食べたくなって

 

 Kindle版。執筆資料として。


【読み始め】2024年1月6日
【読み終わり】2024年1月27日

 

 

 

2024年1月27日【読了】

 食べ物を、その素材の持ち味に言葉の添加物を盛ることなく、如何に美味しそうに文字で表現するか?

 この課題を追求していくと、まるで答えが見えてこなくて、かえって自信を無くしドツボにハマり込んでいく。

 

 以前より池波先生の本を読み込んでみたら?と教えてもらっていたので、恥ずかしながら人生初の池波本として本随筆集を読んでみた。

 三部構成の、第二部は電子書籍には収録されていない。

 調べてみると第二部は対談集になっていて、なるほど対談の御相手の御都合もあって収録を見合わせたのかなあと、いろいろ考えを巡らせたりもして、いつかしっかり文庫本で読み込みたいなあと新たな目標もできた。

 

 で。お目当ての、随筆における「食」の表現なんだけども。ドラマの鬼平よろしく、潔くて鮮やかで、それでいてどこか艶っぽい。難しい熟語を使わないどころか、敢えてひらがなの「うまい」としか書かないところが、逆に炭火の香ばしさを感じさせる。

 パリの酒場での風景を切り取る場面では「ワインとパンとチーズ」とだけ、銘柄やパンの種類には全く言及していないのに、そのシンプルな描写だけで一晩中盛り上がってしまったんだろうなと想像できた。

 

 その筆さばきの見事さに、常にお腹を空かせるばかりで、ちっとも表現の御勉強に至らなかったので引き続き池波作品を読んでいこうと思った。

 ただ、それだけではさすがに悔しいので、本書をバッグに忍ばせた人物を次の連載作品にひとり、登場させてみようかと……その人物は如何なる不思議な作用によるものか、異常なまでにお腹を空かせている。お腹を空かせているのに池波先生の「うまそうな」本を読んでしまうものだからサァ大変だ。

 あんまりうまそうな話しじゃないね、と言われてしまうのがオチだろうけれど、がんばって書きマスm(__)m

 
 

【読書記録】少年についての独白

文学フリマ東京でお迎えしました


 文学フリマ東京でお迎えした作品。

 瑞々しく、儚く、迂闊にため息をつくのも躊躇する。そんな繊細な作風が魅力の津森七さんの短編。

 ひとりの少年に出会ってしまった男の、独白、末路、もたらしたもの……。

 

【読み始め】2024年1月21日
【読み終わり】2024年1月21日

 

 

 
2024年1月21日【読了】

 未成年者を○○してしまうお話というのは、昔々M崎事件の後にしつこいくらいに展開された「オタクバッシング」の火の粉を少なからず浴びた私にとって、ある意味鬼門であるといってもいい。

 ※なんのこと?と思われた方は各自、自己責任でググってどうぞ……

 怖い話が好きな私をして体が勝手に避けて通るこのテーマを、最後まで一気に読ませてしまう津森さんの筆力に、ただただ脱帽というか……この作風で、このラストに向けて、よくぞ落とし込んでくださいましたな!と。

 

 独白という一方的主張のみを突き詰めることによってのみ浮かび上がる、男の異常性と事件の不自然さ。読者が捜査官とともに抱える数々の違和感を、現実から残酷なまでに軽やかに引き剥がす最後のシーン。

 30ページに満たない物語の中に仕掛けられた一言一言が、いつの間にか割れたガラスの破片のように意識に刺さっていて、あのラストで一斉に軋みの音を立てて切り刻みに来る、みたいな。

 少年とは、かくも、かつて少年だったものを惑わすのか?

 

 決して救いのあるお話ではない、と思う。

 けれどこのお話を読むことで何かを自らに問う人は居るかもしれない。その問いの向こうに、こちら側に踏みとどまることを決意する人も、あるいは……。

 

 

【読書記録】らじおがたりもっと

文学フリマ東京でお迎えしました


 文学フリマ東京でお迎えした作品。

 以前に読んだ『らじおがたり』の続編。小気味良い文体で、さまざまなジャンルの掌編が紡ぎ出される本シリーズは、まさに贅沢の極みと呼べる一冊じゃないかしら?

 ※書影は私が独自に撮影したものです。作者様や発売元様よりご要請ありましたら、画像の削除又は差し替えることがあります。


【読み始め】2024年1月17日
【読み終わり】2024年1月21日

 

 

 
2024年1月17日

 甘酸っぱい雰囲気を醸す一本目のお話から始まったと思うと、SF風味サスペンス、現代ファンタジー、ブラックユーモア全開もの……と、今回もまた多種多様なお話が次々に飛び出す。

 本を読むという行為は、ページを開いたその瞬間に舞台の幕が開き、その場所が特等席になるという、めちゃくちゃお得なエンターテインメントだ。この快適な椅子にずっと座ってたい……帰るのめんどくせーんだよなあ……とまあ、本書を読み始めると必然的に自堕落スイッチがonになるのだが、似たような気持ちになる場所があったはずなんだよなあとよくよく思い出せば、それは初笑い寄席で行った鈴本演芸場だった。

 外は真冬の寒さ厳しい夜だ。他のお客さんの笑いさざめきも心地よい温かな演芸場で、入れ代わり立ち代わり話芸や色物で楽しませてもらって、嗚呼腹減った……けど、このまま笑い疲れて寝ちゃいたいな……お泊りプランとかないのかな?帰るのめんどくせー……となっちゃう。

 そんな寄席と同等の本書、つまりは極上のエンタメ宝箱ってことだよね。

 

2024年1月21日【読了】

 一冊目からトーンダウンすることなく、多彩な作品の数々で最後までわくわく……で読み終えられた。ありがとうございますm(__)m

 

 二冊目を読んでみて、さらに確信を固くしたことがある。

 それは、作者のバックグラウンドと作家性の「豊かさ」だ。

 真摯なSFファンとお見受けする硬質な筆致には、ただただ科学的知識に耽溺するだけではないユーモアや愛や世の中に対する皮肉が程よく乗っていて、初読者や最先端科学に詳しくない読者にも広く門戸を開けて待っていてくれるような温かさが、全ての作品に「作風」としてしっかりと反映されていると思う。

 私の拙い人生経験において、このような書き手は実はあまり多くを知らない。

 博覧強記ゆえに読者を置いてけぼりにする書き手とそれを目指す書き手は今この瞬間もたくさんいる。哲学や主義主張を織り交ぜるのに必死なあまり、登場人物の個性が希薄な物語や、いっそ物語を排してしまったのかしら?と思われる日記なのか私小説なのか判別不明なお話もある中、ただひたすらに『次はどんな風に読者をびっくりさせようか?』ということにひたすら注力する本書のような、安心して手に取れる作品というのは今では古典派と呼ばれてしまうのだろうか?

 

 エッセイや体験談を集めた作品が全盛の昨今。作り話が実話に追いつけないのだろうな、という諦めの中でそれでもなお物語を『創作』ことにこだわる人たちが居る。

 その人たちが日々、楽しいものを楽しみ、笑い、悲しみを悲しみとして味わって、宇宙の仕組みと向き合いながら、健やかに文字を書き連ねていけますように……。

 本書を読み終える時に、またこの素敵な時間が……三冊目と出逢えますようにと願わずにはいられなかった。

 

 最後に、特に「大好きだ!」と思ったお話を、厳選して三つ挙げておくことにする。

 ・生きるリズム……オカルトについて、研究というほど真面目に探究してないけど大好きだよという私だが、日頃幽霊について思うことに「可」のハンコをもらったような気がした作品

 ・憧れの庭……作品中に出てくる映画、観てみたい!

 ・熟考の成果……ブラックユーモアとはこういうことさ、と洒落のわからん人々に勧めて自己啓発を促したいっっ(´;ω;`)ウゥゥ