私の「鬼」に対する苦手意識は相当なものだ。
とはいえ、鬼というカテゴリーに属する怖い話は古今東西、古くも新しくも次々遭遇するわけで、食わず嫌いで居るわけにもいかない。
……そのうち、自分でも「鬼」を書くことになるかもしれない。メインのテーマに選ばずとも、エッセンスのひとつとして取り入れる、とか。
怖い話の大先輩方に弟子入りするような気持ちで、先ずは花房観音先生の文庫本を読んでいく。
【読み始め】2023年2月27日
【読み終わり】2023年2月28日
2023年2月27日
御伽噺のような幻想的舞台に、美しい鬼がひとり、またひとり……プロローグと第一話『桜鬼』を読み終えた感想は、予想に反して大変にロマンチックだなという印象。
少女漫画やレディースコミックを読む習慣がほぼゼロの私にとっては、行間すらも新鮮!鬼=元は人間、という側面からすれば、なるほどこういう切り口もあるのだなあと納得した。
めちゃくちゃ勉強になる( ..)φメモメモ
2023年2月28日【読了】
ただのロマンチック×エロティシズムを堪能する連作短編だと思って読み進めたら大間違いだった。眼球運動を止められなくなる中毒性に、読み終えた直後の放心状態が合わさって、スタンディングオベーションも忘れてしまうほどの素敵な読後感を味わった。黒木あるじ氏の解説が止めの五寸釘のように効いていることも、大変重要なポイント。
私もしばしば「鬼は人であり、人が鬼である」という説によっかかるので、本書との相性が良かったのかもしれない。
それを差し引いたとしても、生きてる人間も怖いが生と死の垣根を軽々と飛び越えちゃって、人でもなければ霊でもない存在になっちゃったら、そりゃあ計り知れない怖さだぜ、と思う。
作品を特徴付けるはんなりとした京ことばは、それを包むオブラートというよりもむしろ、そういった人々の一種の素直さ・救われなさを際立たせる隈取のようで、ソープオペラ的ロマンチック趣味から最も遠いところへと引きずり込むように機能していた。
そして「軽々と飛び越える」可能性は天才と凡人の分け隔てなく、生きてれば誰にでもその瞬間はやって来ることをサラリとフィクションの中に落とし込む筆力に打ちのめされたことも書いておこう。
あれをするな・これを尊重しろ・俺を私を思い遣れ、と各人が好き勝手に主張する現代社会においては、知らず知らずに自他を抑圧して人であることを無意識のうちにやめてしまう人も多かろう。表面上はわからなくても、人知れず内に鬼を飼う人、鬼に転じる途上の人……いや、既に鬼に転じている人は増えているのじゃなかろうか。小説の下敷きになっている実話・事件の有無についてふと考えを巡らせてしまうほど、物語と自分自身との距離感が近くて、それがまた己の中の鬼を呼び覚ましに来てるのではなかろうかと錯覚してしまう。怖いなあ。
黒木氏は解説で著者を「鬼を魅る」と評されていたけれど、私の印象としては「鬼に為ったけれども人の側に還ってきた」のじゃないかな。
そうでなければ、このあやふやだけども強烈な、どうにも惹かれてならない、鬼という存在の負の側面をここまで美しく昇華できないのじゃなかろうか……と思った次第。