からだ作り、体力作り、そしてそこからの物語表現を拡げる試み。
その研究はまだまだ続いています。
先日は脱力について、丹田からのアプローチを御勉強しました。
今度はコチラです。
こういうハシゴ読みを体験していると、古武術にハマってた学生の頃を思い出します。道場に通ってみたいなと、月謝を稼ぐために新たなバイト先を見つけたとたん、道場主が不祥事を起こして道場が無くなっちゃったんだ……。
【読み始め】2021年6月14日
【読み終わり】2021年7月15日
2021年6月14日
オープニングから第一章まで。
なんだろうな、この痺れるような読書体験は。
2021年7月13日
ハッとした部分を引用する。
他流派の動きや思想を「間違っている」と切り捨てるのは、物事の多面性を考慮に入れない態度だ。本当に正しいといえるのは誰かの言葉や動きではなく、自然の法則のみである。
これは武術に限ったことじゃない。限定的な例を挙げれば、物語創作もそうだし占術師の有り方もそうだ。
基礎を流派に托むのも正しい。
その先で独自の解釈を探すのも正しい。
全ては本当に正しい『なにか』に繋がる過程であり、自然界に揺蕩う本当に正しい答えを的確な解釈でもって拾えるかどうかの、いわば方法論に過ぎない。
十人いれば十通りの方法論が展開されるのはもはや自明の理と言ってもいいのではないか?
そして、得られたモノが正しいかどうかを判断するのは、おそらく本人がどう生きたいか?という気持ちなのだと思う。判断基準もそこに依ってくる。
かくあるべしと、誰かや何かを絶対基準にすることは、自分の人生をその基準とする対象に丸投げしてるってことじゃないかな。
何が正しい答えなのか?と迷ったら、まずは自分が在りたいところはどこなのか確認する。誰かの生き様や方法論を見て「間違っている」と思ったなら、なぜそう思うのかを暫し熟考し自分自身との違いを振り返る。どうしても相容れなくて切り捨てると覚悟を決めるのは、それらの過程を経てからでも遅くはないのではないか?
2021年7月15日【読了】
武道の修業を人間形成の基礎に役立てる、という向きは昔からある。
本書も終盤は人生哲学に深く切り込むような記述が多くて、しかもそれが全て納得のいく内容で、ああなるほどなあと改めて感じ入った。
当たり前の事をきちんと観察して理解すること。
当たり前の事が何故当たり前として受け流されてしまうのかを分析すること。
これらは武道に限らず、学術研究であったり対人関係の悩みであったり、一つ事を深く掘り下げて学ぶシーンでは避けて通れない。
ところが今はコスパだ時短だと、とかく手っ取り早くエッセンスの上澄みを舐めて良しとする風潮が色濃い。省いてはならない手間暇を考え無しに排除してしまった結果、起こった問題についてもまたインスタントに対処しようとして、さらに問題を深刻化させているケースが増えている気がする。
基本に立ち返り、基本に忠実に、基本を反復することの意義を見つめなおしたい。
当初は体感を言語表現にフィードバックするにあたり、その方法を強化する目的の一環で読み始めた本書だった。
思わぬ読書体験だったなあ。読んで良かった。