単行本で読みました。
神保町の東京堂書店さんで購入。
【読み始め】2020年11月25日
【読み終わり】2020年12月5日
2020年11月25日
多様性という言葉がその場その場で都合よく剣にも盾にもなる昨今、ちょっと混乱する場面に遭遇することしばしば。
辞書で引いて言葉尻だけを追いかけていては、ますます濁流に流されるような気分を味わいそうだったので、現代社会でいう多様性の本質を探る一環として読み始めた。
2020年11月26日
もっとパンチの効いた本かと思っていたけれど、予想に反してハートフルでスマッシングなのにホンワカといい塩梅だ。中庸思想に傾倒中の今現在の私には、大変に心地の良い視点で描かれてるってことなのかもね。
社会的問題に対して意見を述べること・持つことと、社会的意見の違う人を攻撃して殲滅することは全く違うことだ。その違いが判らない人が多いのは、ある意味糞真面目なヤツばっかりの日本の特色なのかなと思ってきたけど、どうやらそうでもないらしい。
世界中、どこでも。バッグボーンが違うヤツらが寄り集まって、意識的であろうとなかろうと多様性を突きつけられる環境が整えば、いやがおうにもそれは浮き彫りになってしまう。
「自分たちが正しいと集団で思い込むと、人間はクレイジーになるからね」
(中略)
「『あなたたちの中で罪を犯したことのない者だけが、この女に石を投げなさい』と新約聖書のヨハネ福音書でイエスも言っているしね」
(P.51)
私が最近考えてるのは、世界はオセロゲームじゃないってこと。
そのことについて、上記引用文箇所辺りまで読んで、少々詳しめに言語化できたのでメモしとく。
- 衝突が起きたらどっちかが反転して屈するまでぶちのめすんじゃなく、両者で「何色にする?」と協議して、お互いに顔や手や服の一部に色を塗りっこするくらいで丁度いいんじゃないの?ってこと。
- 世界が気に入らねえ!と思うのは結構、だけどコスパや時間効率第一主義で手っ取り早く塗り替えようなんて虫のいい事を考えてるヤツが好きにできるほど、世界は単純にできちゃアいねぇぜ?ってこと。
2020年11月28日
多様性と差別をごっちゃにしてる人というのはたくさんいて、それは被害者意識の高い人に特に顕著なのかしらねと、私は考えている。
多様性というのは、今まで右だ左だと大雑把に分けていたところを、穏健な鷹とか陰謀論の鳩(いるのかな?)とかもうちょい細かく分類線を引くという作業のことを言うんだと思っていた。なのに現実では『どの陣営に正義があるか?』という勢力図まで上乗せされていて、面倒なことこの上ない。
今日読んだ中にも「多様性は物事をややこしくする」「無い方が楽」という会話が出てきた。嗚呼、やっぱりか……となったんだけど、じゃあ何故そのややこしいモノに惹かれ多様性を受け入れようとするのだろう?
著者曰く「楽ばっかりしてると無知になる」からだそうだ。
滅茶苦茶納得してしまった。私はただ従順な愛玩動物みたいに生きたくない。ちゃんと見て、聞いて、知って、考えて選び取って生きたいのだ。
そして、常々考えている「勝手に手前勝手なラベルを私に貼るんじゃねえ」というテーマについて、新たな知見を得た。
「無理やりどれか一つを選べという風潮が、ここ数年、なんだか強くなっていますが、それは物事を悪くしているとしか僕には思えません」
(P. 64)
人は平面的な存在ではない。
私を例にとると、サラリーマン家庭に育った昭和生まれの、チビでデブでブスな、生物学的に女性に分類される、性自認は恐らく女性で、性的嗜好は異性愛者であり、死後の世界に多大なる興味を持っており……とまあ、列挙するだけで疲れてしまうくらい、数多の『属性』でもって構成されてるわけだ。ここに昨今はアジアで教育を受けた、母国語しか操れない、とかも加味されるわけだ。
そりゃあ、年齢と性別だけを見て「お子さん、もう手が離れたの?」だの「最近、御仕事大変でしょう?」とか……余計なお世話だって話になる。
ちなみに。私には子供居ないし、悠々自適とは言い難いが少々恵まれた環境に居る無職である。悪ィか、この野郎。
2020年12月1日
シンパシーとエンパシーの違いについて、大変に納得するとともに現代日本を蝕む問題の病理について指摘された気がした。
私の人生において度々登場する或るタイプの人たちはシンパシーを求めていたのかもしれない。私を判って、私を理解して、そのうえで私を一番に尊重して……その求めは、彼や彼女の孤独感や社会からの疎外感から生じたのだろうけれど、その感覚も裏を返せば彼・彼女が他者に対しシンパシーを感じるどころか拒絶していた結果だということを理解してないように思われた。
そのタイプの人たちは己を指差してエンパシーが高いから、人の考えてることが「読めて」しまうから、気を使いすぎたり神経がすり減って辛いのだと言っていた。
エンパシーの能力が他者より高いから『拒絶』していたのか?それとも他者の感情を遮断するために、自らの感情を外に向けることに注力してシンパシーを得ようとしていたのか……。
2020年12月5日【読了】
涙あり笑いありの中学生日記(お母さん視点)を読みながら多様性ってもんについてのヒントが貰えたらいいな……そんな軽い気持ちで読み始めたつもりだったけど、なんてことでしょう、何処をどう切り取ってもそこそこにヘヴィでパンクでイケてる一冊だった。参ったなあ。
しかし、登場する人物全員、なんでこうも聡明なんだろう!
筆者が聡明ゆえ、類は友を~のノリで、聡明な知り合い・友人・家族と人間関係を構築しているのだろうか。
本書を読み終えてみて、筆者の感じた事や中学生たちの行動すべてに賛同することは、恐らく多様性というものからはレールがズレるのではないかなと思う。
私の中で、多様性というものは少なからず軋轢が生じ、互いが互いの要素を出し合い混ぜ合いして、新しい価値観を作り上げていくものなのかなと思うから。
全てを受け入れなくてもいいけれど、全てを拒絶していては始まらない……。
私の『色』と誰かの『色』が混ざり合って、いったいどんな新しい『色』になるかな?楽しみだね――それくらい、ふわっとカジュアルなくらいで丁度いいのかもしれないけれど、これは真面目な人ほど難しいかもしれない。