あらたま@メモ魔通信

くらしの一コマ、ねこ、きもの、ラーメン、読んだ本、などな日々の活動メモ。書いて、読んで、猫と暮らす。丁寧ではないし、断捨離もしてないし、OLもしてません。

猫にお呼ばれされた話

涼しくなってきたので、お散歩が楽しい 

 どんどん、遠くへ行きたくなる。心の赴くまま。
 そして、迷子になることもある。
 萩原朔太郎の『猫町』みたいに。
 
 まあ、そこまで遠くに行かずとも。
 
 日々変化する地元の街には、まだまだ足を踏み入れたことのない場所や道もあるわけで、迷わなくても不思議な気持ちになったり新発見に小躍りしたりしてしまう。こともある。
 
 今日はそういうお話。
 
おじゃましたことなかった神社

f:id:tama_arai:20190924015822j:plain

 
 その神社の側は何度も通りすぎていた。
 なんなら、近くの呑み屋でご機嫌にビールを呷っていたりもした。
 なのに、神社にまったく気付かなかった。御詣り小娘の、この私が。
 
 今の今まで気付かなかったってェことは、ここの神様に『来るな』って避けられてたのかも……などと考えたりもしたが、今回はこうして御縁をいただいたんだからと、小難しいことは横に置いて、ありがたく御詣りすることにした。
 
 こじんまりとしているが、さっぱりと浄められた境内。手水舎にも清潔な水が湛えられている。氏子さん方に大切に御世話されてるんだなと、思わず笑みが溢れる。
 
 手水舎に向かおうとすると
  『にゃあ』
 と、声を聞いた。
 尻尾が短くて一際眼力の強い、三毛猫だった。
 
  「こんにちは、ハジメマシテ」
  『ぁあ~』
 
 挨拶を返してくれる。なかなかの愛想良しだ。
 写真撮影をお願いしてみたら、先のようにポーズを作ってくれるし、ありがとうの気持ちを込めて人差し指を近づけると鼻チューしてくれるし、大変なオモテナシをしていただいて、御詣り前なのに「ご利益ッッ」と舞い上がってしまった。
 
 猫と交流できる神社は殊更に霊験あらたか。と、信じ込んでいる私には、これだけで複数回分の祝詞を唱えて貰ったのと同じくらいありがたい経験なのだった。シアワセ。
 
しかし、本当の猫ご利益はここからだった

f:id:tama_arai:20190924021008j:plain

 
 御詣りを終えると、先ほどの三毛猫が此方をチラチラと見ながら歩いたり立ち止まったりしていた。
 
  『ちょっと。こっち来て』
 
 着いていった方が良いのかな?と半信半疑で呼ばれていくと、まさに猫の集会が始まろうとしているところだった。
 あちこちから猫が集まってきて、思い思いの場所に腰を下ろし、寛ぎ始める。
 全員合わせて四ニャンと一人。私、あの、今日此方の境内にお邪魔したばかりで、その末席を拝してもよろしいんでしょうか?……緊張しない方がおかしい。
 
  『だれ、この子』
 
 と、言ったか、どうだか。
 茶トラさんが、私に不機嫌そうな声を出すと三毛猫さんが、すかさず「にあああ」とフォローしてくれた。
 たぶん、
 
  『私が呼んだんだよ』
 
 と、説明してくれたんだと思う。ていうか、そう思いたい、信じたい。
 
 そこからの私と来たら、ハジメマシテのご挨拶と合わせてまばたき交換をしたり、物理的距離を縮めようとして「ニやあああ!(近寄るな新参者!)」と怒られたりして、猫集会の洗礼??を受けたのだけど、どうにかこうにか皆様の集合写真を一枚撮らせていただけたのだった。
 撮りますねえ♪と声掛したときには皆様此方を向いていたのにシャッター押すときには見事にそっぽ向いていて……嗚呼、まあ、こんなもんですね。
 
また来ていいですか? 
 あまり長居しては野暮だなと思ったので、写真をとったら早々にお暇した。
 『またおいで』とは言ってもらえなかったけど、来たけりゃくるがいいよみたいなことを態度で示していただいた気もするので、近いうちにまた寄ってみようかなと考えている。
 
 猫集会に参加するのはこれが初めてで、本当に有り難く素晴らしい体験だった。こんなご利益あるんだなあ。感謝感激。
 
 というわけで、本日はここまで。
 
 
 
※猫の台詞など、一部私の想像・思い込みがだだ漏れだったけど概ねノンフィクション。
※※地域猫の安全で安心な暮らしのため、詳しい場所は伏せさせていただくことをお許し下さい。