二足歩行(私)も四つ足(にゃんこのボク)も、隔たりなく歳をとる。
同じく、植物だって一分一秒先には、枝が変化して葉っぱが別のゆらぎの上に乗っている……ヒトの目にはその変化はなかなか観測しづらいけども。
秋になって暖色系の葉っぱが落ち始めるころになってようやく気づいたとしても、今年の夏の木々の営みをもう一度愛でることは叶わない。
観測点をもっと大胆にずらすと。
星の運航も、同じ配列は二度と巡ってこない……らしい。
太陽と地球、地球と月。
そういうご近所同士のルーチンワーク的な関係さえ、物理法則によってちょっとずつずれたりリセットされたりしていて、簡単には「去年の今日もこんな月だったわね」なんてことは言えなくなるのだそうだ。
さらにここへ水星や火星等々といった離れたところにいる親戚的な星を考えに入れると、似たり寄ったりな配列になるのは百年単位では効かないほど遠い未来の話になるそうで、まさに夜空の星ぼしは一期一会の円周運動を延々と続けているわけだ。
考えただけで、あまりの尊さに頭が自然に下がる。
なんでこんなこと考えるのにハマってるのかというと
こういう本を読んだから
占星術というのは、多少強引にまとめると
望遠鏡や分度器で観測した天体の動きを図式化して、統計学的見解を盛り込んだもの
ということになるのかな?と。
なんとなく風水術に近い感じがする。
とはいえ、両者はどうも方向性が違う。
風水が『統計的にこの目的を達成したいならこのように行動しなさいね』と言うのに対し、占星の方は『統計的にこういう波がきてる読めるからこのように振る舞うといいかもよ?』とアドバイスしてくれる感じ。
天気予報みたいだな、と思う。
秋分の日も冬至も、例年通りにやってくる
けれども、今年の秋分の日は今年だけのものであり、冬にどんなきものに袖を通そうか迷っている今の私は来年の同じ日時に同じ悩みを抱えている保証は無いわけだ。
天気予報みたいなら、当たっても外れてもさして悔しくはない。
むしろ、外れたって大丈夫!と鷹揚に構えていられるように、二度と巡ってこない一瞬を生ききりたい。
無駄遣いせず、堂々と。